ジャズ年表(案)ジャズの歴史
米国ジャズの歴史
日本ジャズの歴史
米ジャズ年表 | 和ジャズ年表 |
16世紀初頭スペインがアメリカ東南部を占拠 | |
17世紀後半フランス占拠.ルイジアナ州と命名 | |
18世紀ニューオーリンズ、コンゴ・スクウェア | |
1725年ルイジアナ州人口約半数黒人。約半数フランス系移民ら | |
1803年米国ルイジアナ購入 | |
19世紀初頭バイオリン | |
タンバリン、フィドル、バンジョーのバージニアミンストレル | |
1860年共和党リンカーン大統領人道主義政策 | |
1861年南北戦争(American Civil War)開始 | |
1861年「ガンボボックス」 | |
1863年リンカーン奴隷解放宣言 | |
1865年南北戦争終結※映画『風と共に去りぬ』 | |
1866年までに大西洋奴隷貿易で40万人が北米に | |
西アフリカとコンゴ川流域から強い音楽の伝統 | |
1885年音楽(クレオール) | |
黒人霊歌の和音の調和 | |
ブルースの起源は諸説ありだが霊歌の世俗化との見方も | |
ゲルハルト・クービック:霊歌はホモフォニー、カントリーブルースと初期のジャズは「主にヘテロフォニーの概念に基づいていた」 | |
ジャズ年表 | |
1899年 デューク・エリントン生誕 | |
1900年前後アメリカ合衆国(以下『米国』と略)ルイジアナ州ニューオリンズでジャズ発祥(デキシーランド・ジャズ) | |
1901年ルイ・アームストロング生誕(サッチモ)(tp,vo) 1901-1971 | |
ラグライム スコット・ジョプリン(p)「The Entertainer」 (1902) 完全に書かれた楽譜 | 1903年(明治36年)2月: 日本における最初のレコード出張録音(英国グラモフォン技師フレッド・ガイズバーグ)※初吹きこみマスター原盤7インチ10インチ合計273枚:🔗『全集 日本吹込み事始め』(東芝EMI,2001)アマゾンへリンク🔗 |
1903年3月頃~ガイズバーグ帰路(上海録音-東南アジア録音-シンガポール港より船で英国へ帰国) | |
1903年月不詳 ドイツでレコードをプレス | |
1903年12月日本の三光堂でレコード販売開始 | |
1903年月不詳米国コロンビア来日 | |
1904年~1906年 この間(1903-1906年)、1903年初来日した英国グラモフォン、米国コロンビアの2社を筆頭に、翌1904年から1906年にかけて★アメリカ(米国)ヴィクター、ドイツ(独逸)ベカ、ライロフォン、フランス(仏国)パテ、など少なくとも欧米レコード会社6社が来日★INFO★ | |
1905年~ | |
1906年 この間(1903-1906) | |
1907年(明治40年)「日本米穀蓄音機(日米蓄)」設立※日本初の国産レコード会社(ローヤル、シンフォニー、グローブ、ユニヴァース、アメリカンなどのレーベル) | |
1910年(明治43年)波多野福太郎らが東洋音楽大学(現・東京音楽大学)を卒業(第1回卒業生)。 | |
1912年(大正元年/明治45年)8月4日 「地洋丸」(東洋汽船、現・日本郵船)の船上バンドとして乗船。ポピュラー音楽の演奏を始める。 | |
のち「ハタノ・オーケストラ」結成。 | |
1917年頃から ジャズ・レコーディングが本格的に始まる★INFO★? | |
ウィルバー・スウェットマン | |
オリジナルディキシーランドジャスバンド(Original Dixieland Jass Band)※ニューオーリンズ出身の白人ジャズ・バンド) *ジャズ初のレコード?★INFO★ | |
ジャズ・エイジ(Jazz age) | |
1922年『ジャズ・エイジの物語(Tales of the Jazz Age)』F・スコット・フィッツジェラルド | |
1924年ガーシュウィン「Rhapsody in Blue」2 台ピアノ | |
1928年デューク・エリントン楽団ハーレム「コットン・クラブ」出演 | |
1928年ルイ・アームストロング・ホット・ファイヴ『ウエスト・エンド・ブルース(West End Blues)』録音 | 1928年(昭和3年)電気吹きこみ開始 |
グレン・ミラー(tb) 1904-1944「茶色の小瓶」(1869) | |
1934年ジャンゴ・ラインハルトらフランス・ホット・クラブ五重奏団を結成 | |
1937年カウント・ベイシー楽団がカンザス・シティからニューヨークに進出(レスター・ヤング在籍) | |
1937年カウント・ベイシー(p) 『One O’Clock Jump』(1904-1984) | |
1938年ベニー・グッドマン、カーネギー・ホールでコンサート開催 | |
1938年 「At Carnegie Hall」ベニー・グッドマン(cl) (1909-1986)*ジャズ初のカーネギー・ホール | |
1939年デューク・エリントン(p) 『A列車で行こう』(1899-1974) | |
1939年グレンミラー楽団『ムーンライト・セレナーデ』『茶色の小瓶』『イン・ザ・ムード』『』チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表 | |
1939年コールマン・ホーキンス『ボディ・アンド・ソウル』録音 | |
1939年ビリー・ホリデイ『奇妙な果実』録音 | |
1939年ブルーノート・レコード設立 | |
1940年代アフロ・キューバン・ジャズ(ラテン・ジャズ) | |
1940年代 ビ・バップ | |
1941年チャーリー・クリスチャン(g) (1916-1942)『at Minton’s』※ジャズギターの開祖とも | |
1942年『チュニジアの夜』ディジー・ガレスピー(tp) (1917-1993) | |
1942年フランク・シナトラ、ソロ・デビュー | |
1942年ガーシュウィン「Rhapsody in Blue」(管弦楽最終バージョン) | |
1945年チャーリー・パーカー初リーダー録音(サヴォイ・レコード) | |
1946年「Confirmation」チャーリー・パーカー(sax) (1920-1955) | |
1947年「Donna Lee」チャーリー・パーカー(sax) 1920-1955) | |
1948年パリで史上初の国際ジャズ祭開催 | |
1949年オスカー・ピーターソンがアメリカで初演奏。 | |
1949年プレスティッジ・レコード設立 | |
1940 年代~50 年代 | |
・ハード・バップ | |
1951年コンテンポラリー・レコード設立 | |
1952年モダン・ジャズ・カルテット(MJQ) | |
1952年ジェリー・マリガン・カルテット(チェット・ベイカー在籍)結成。 | |
1952年パシフィック・ジャズ・レコード設立 | |
1952年リヴァーサイド・レコード設立 | |
1954年クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット | |
1954年第1回ニューポート・ジャズ祭開催(ロードアイランド州) | |
1955年ザ・ジャズ・メッセンジャーズ結成 | |
1955年マイルス・デイヴィス・クインテット結成(ジョン・コルトレーン在籍) | |
1955年チャーリー・パーカー死去 | |
ヘレン・メリル(vo) 1930-「You’d be so nice to come home to」(1955) | |
1956年モダン・ジャズ史上の傑作が次々と吹き込まれる。 | |
1956年ソニー・ロリンズ『サキソフォン・コロッサス』 | |
1956年セロニアス・モンク『ブリリアント・コーナーズ』 | |
1956年ディジー・ガレスピー楽団、米国国務省の使節として中東へ | 1956年秋吉敏子バークリー音楽院留学(米国マサチューセッツ州) |
1956年ヴァーヴ・レコード設立 | |
1956年クリフォード・ブラウン死去 | |
1956年アート・ブレイキー(ds)&ジャズ・メッセンジャーズ『Molitat(Mack the Knife)』※ソニー・ロリンズ(sax) 1930- | |
1956年5月11日10月26日マイルス・デイビス『Cookin’』『Relaxin’』『Workin’』『Steamin’』録音 | |
1957年マイルス・デイヴィス「死刑台のエレベーター」(フランス映画)音楽担当 | |
1957年 「I Remember Clifford」(1957)アート・ブレイキー(ds) &ジャズ・メッセンジャーズ(ベニー・ゴルソン(sax) 1929-) | |
1957年マイルス・デイビス(tp) 『Birth Of The Coo』※ギル・エヴァンス(Arr) 1912-1988 | |
1958年アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『モーニン』録音 | |
1958年第1回モンタレー・ジャズ祭(米国カリフォルニア州)★INFO★スイス? | |
1958年第 5 回ニューポート・ジャズ・フェスティバル | |
・ファンキー・ジャズ | 1958年白井英雄『HIDEO SHIRAI』※日本初のファンキージャズ |
アート・ブレイキー「Moanin’」(1958)、 | |
1958年ジョアン・ジルベルト『思いあふれて』※ボサノバの誕生…1950 年代後期 | |
1959年マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』録音 | |
1959年デイヴ・ブルーベック『タイム・アウト』録音「テイク・ファイヴ」が大ヒット | |
1959年オーネット・コールマン・カルテットがロサンゼルスからニューヨークへ進出 | |
1950年代末~60年代 モード・ジャズ | |
1960年代 フリー・ジャズ | |
1960 年「真夏の夜のジャズ」第 5 回(1958) | |
ニューポート・ジャズ・フェスティバルの記録映画。 | |
1960年ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス』録音。 | |
1960年インパルス・レコード設立 | |
1960年ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス』録音。インパルス・レコード設立 | |
1961年ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』録音 | |
1961年ジョン・コルトレーン(sax) 「My Favorite Things」 | |
1961 年 ビル・エバンス(p) 「Waltz for Debby」 | |
モダン・ジャズを代表するピアニスト。 | |
オーネット・コールマン(sax)1930-2015「Free Jazz」(1961) | |
1962年スタン・ゲッツ『ジャズ・サンバ』全米アルバム・チャート1位 | |
1962年アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-1994) 「The Girl From Ipanema」 | |
1963年マイルス・デイヴィス・クインテットにハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス参加 | |
1963年ジョン・コルトレーン(sax) | |
「Impressions」(1963) | |
1964年ジョン・コルトレーン『至上の愛』録音。 | |
1964年リー・モーガン『ザ・サイドワインダー』ヒット。 | |
1964年ルイ・アームストロング「ハロー・ド―リー!」が全米シングル・チャートの1位 | |
1964年第1回ベルリン・ジャズ祭(ドイツ)開催 | |
1964年エリック・ドルフィー逝去 | |
1965年渡辺貞夫さんバークリー音楽院留学から帰国。 | |
1965年スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの共演盤『ゲッツ/ジルベルト』がグラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤーに輝く。 | |
1965年ジョン・コルトレーン(sax) 『至上の愛(A Love Supreme)』マッコイ・タイナー(p) 1938- | |
1966年チャールズ・ロイド・カルテット(キース・ジャレット) | |
1966 年 サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラ ※ビックバンドの最高峰の一つ。現在も「ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ」で活動。 | |
※ジョーンズ3兄弟 | |
ハンク・ジョーンズ(p) 1918-2010 | |
サド・ジョーンズ(tp)1923-1986 | |
エルビン・ジョーンズ(ds)1927-2004 | |
1966年キャノンボール・アダレイ(sax) 『Mercy, Mercy, Mercy』 | |
1967年ゲイリー・バートン・カルテット結成(ラリー・コリエル) | |
1967年ウェス・モンゴメリー『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』 | |
1967年第1回モントルー・ジャズ祭(スイス) | |
1967年ジョン・コルトレーン(sax) 逝去(1926-1967) | |
1967年ルイ・アームストロング『What a Wonderful World』 | |
1967年マイルス・デイビス『Nefertiti』 | |
1967年CTI レーベル設立 | |
1969年マイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』、『ビッチェズ・ブリュー』録音 | |
1969年ドイツでECMレコード設立※北欧ジャズ | |
1970 年代~1980 年代 エレクトリック・ジャズ ~ クロスオーバー ~ フュージョン。アフロ、ラテン、ファンク、ロックとの融合 | |
1970年マイルス・デイビス『Bitches Brew』 | |
1971年山下洋輔(p)1942-『グガン』 | |
1971年ウェザー・リポート結成(86年解散) | |
1971年ルイ・アームストロング(サッチモ)(tp,vo)逝去(1901-1971) | |
1972年リターン・トゥ・フォーエヴァー:チック・コリア(p) 1941-)らが結成したフュージョンバンド | |
1972年コンコード・ジャズ(現コンコード・レコード)設立 | |
1973年ヘッド・ハンターズ:ハービー・ハンコック(p) 1940-)『カメレオン』 | |
1973年秋吉敏子=ルー・タバキン・オーケストラ結成(ロサンゼルス) | |
1974年デューク・エリントン(p) 逝去(1899-1974) | |
1974年モダン・ジャズ・カルテット解散(81年再結成95年まで活動) | |
1975年マイルス・デイビス「Rated X / Get Up with It」 | |
1975年キース・ジャレット『ケルン・コンサート』録音 | |
*スタジオ・ミュージシャンの時代 | |
マイケル・ブレッカー(sax) 1949-2007 | |
ランディ・ブレッカー(tp) 1945- | |
デビッド・サンボーン(sax) 1945- | |
スタッフ「Foots」(1976) | |
スティーブ・ガッド(ds) 1945- | |
リチャード・ティ(p) 1943-1993) | |
1975年キャノンボール・アダレイ(sax) 逝去(1928-1975) | |
1976年ウェザー・リポートにジャコ・パストリアス参加。ジョージ・ベンソン『ブリージン』が爆発的ヒット | |
1977年ハービー・ハンコック & VSOP 「Tempest at the Colosseum」フレディー・ハバ ード(tp)参加 | |
ウェザー・リポート「Birdland」(1977) | |
ジョー・ザビヌル(key) 1932-2007 | |
ウェイン・ショーター(sax) 1933- | |
ジャコ・パストリアス(b) 1951-1987) | |
1978年パット・メセニー・グループ発足 | |
1978年キース・ジャレット(p) (1945-)「Country」※ヤン・ガルバレク(sax) 1947- | |
1980年ビル・エバンス(p)逝去(1929-1980) | |
1981年マイルス・デイヴィス約5年ぶりに活動再開 | |
1982年ウィントン・マルサリス『マルサリスの肖像』初リーダー作 | |
1983年キース・ジャレット・トリオ(通称スタンダーズ)結成 | |
1984年カウント・ベイシー(p)逝去(1904-1984) | 1984年小曽根真米コロンビア・レコードからメジャー・デビュー |
1987年若手ジャズメンの登竜門“セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティション”開始 | |
1987年ウイントン・マルサリス(tp) 1961-『April in Paris / Standard Time』 | |
パット・メセニー(g)1954- | |
マリア・シュナイダー(ビックバンド)1960- | |
ブラッド・メルドー(p)1970- | |
ロバート・グラスパー(p) 1974- | |
1990年アート・ブレイキー(ds) (1919-1990)逝去 | |
1991年マイルス・デイヴィス逝去(-1991) | |
1994年アントニオ・カルロス・ジョビン逝去(1927-1994) | |
2001年ダイアナ・クラール『ザ・ルック・オブ・ラヴ』プラチナ・ディスク | |
2002年ノラ・ジョーンズ『Come Away with Me』ファースト・アルバム 2000万枚を超えるメガ・ヒット | |
2007年ロバート・グラスパー・エクスペリメント発足 | |
2008年ハービー・ハンコック『リヴァー』グラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤー(ジャズ作品受賞約45年ぶり) | |
2008年エスペランサ・スポルディング | |
2011年上原ひろみ“ザ・トリオ・プロジェクト”結成 | |
2014年黒田卓也『ライジング・サン』※日本人初米ブルーノート・レコードオリジナル・アルバム |
(あとがき)
暫定版です。折をみてぽつぽつ更新してまいります。