おせち料理といえば最近はお取り寄せが人気。
たとえ時代やライフスタイルが変化しても、せっかくならおせちの基本や由来など日本の伝統を知っておきたいですよね。
そこで、おせち料理の定番や食べる意味や願いなどおせちの歴史について略年表風にまとめてみたいと思います。
おせち料理の由来
写真は親の介護で筆者が自作したおせち
いちおう左下から一の重、右下が二の重、上が三の重という具合になっています。
以前、親の介護でおせちの自作に挑戦したことがありました。その際、おせちについてあれこれと調べました。
そんなきっかけから、おせちの由来や伝統などをまとめています。
おせち料理とは?
・昔は3月3日、5月5日のようなの節句(せっく)の料理を「おせち」とよんでいた。今は正月料理のことを「おせち」という。祝い(いわい)の意味もある。
・毎日家事にいそがしいお母さんたちが、せめてお正月の3日間ぐらいは料理をしなくてもいいようにと保存(ほぞん)のきく料理を作るという意味もある。
・おせち料理は住んでいるところや家庭によって、作る料理、お重(じゅう)へのつめ方、お重の数も違う。
おせり料理の重箱の意味(定番料理名・材料・ いわれ)
田作り(たづくり)
・ゴマメ カタクチイワシの子をほしたもの。
・昔はイネを植える時に田んぼにコイワシを細かくきざみ、灰(はい)にまぜて肥料(ひりょう)にした。今年もいいおコメがとれるようにという願いをこめて田作り(たづくり)という名前でよばれるようになった。
数の子( カズノコ)
・ニシンの卵。
・ニシンのことを「カド」というので、カドの子がなまって数の子になったとのいわれ。
・数の子にはとてもたくさんの卵があるので、数多い子、つまりわが家がこれからも子どもがたくさん生まれて代々栄えますように、という意味がある。
きんとん
・サツマイモ
・ きんとんは「金団」。金の集まったもの、財宝(ざいほう)という意味。
・今年もゆたかな生活が送れますようにとの願いがこもっている。
黒豆
・クロマメ
・豆はまめまめしいという意味。
・家族みんなが今年も1年まめで元気にすごせますように、働けますようにという願いがこもっている。
伊達巻(だてまき)
・タマゴ、はんぺん
・だてまきはもともと長崎県でカステラかまぼこといったもの。
・江戸(えど)に伝わり、江戸っ子の気だてを表す伊達(だて)の意味と、巻物(まきもの)の巻き、から「伊達(だて)+巻(まき)」となった。
・昔は本のような読み物は巻き物になっていたので文化の発展(はってん)との願いがこもっている。
お煮しめ(おにしめ)
・野菜の煮物(にもの)
・大切りにした野菜などを鍋に入れていっしょに煮しめていくお煮しめは、家族がなかよくいっしょに結ばれるという願いがこもっている。
ゴボウ 根野菜なので一家の土台がしっかりするようにとの願いがこもっている。
レンコン レンコンは蓮(はす)の球根。蓮は昔から仏教(ぶっきょう)では仏(ほとけ)様のいる極楽(ごくらく)の池にあり清らかでけがれのない植物とされています。根にあながあいているので、見通しがよくなるようにという願いがこもっている。
サトイモ 親イモになると根もとから子イモが出て育つことから、子どもがたくさん生まれるようにという願いがこもっている。
きんかんの甘煮(あまに) キンカン キンカンは「金冠」と書き、金のかんむり、宝物(たからもの)の意味。きんとんと同じように生活のゆたかさへの願いがこもっている。
えび エビ ゆでたり、焼いたりすると、エビの背(せ)が丸くなるところから、腰(こし)が曲がるまで健康で長生きできますように、という願いがこもっている。
こぶ巻(まき) コンブ こぶ巻きの「こぶ」が「よろこぶ」と同じ音の言葉。おめでたいとされている。
なます ダイコン 色の白いダイコンは、清らかな生活という願いがこもっている。大地に根をはるので、家の土台がしっかりして、栄えるともいわれている。
菊花(きっか)かぶ カブ 菊(きく)は日本の国の花。昔からお祝い(いわい)のときに使われてきた。お正月のようなおめでたいときにも登場する。
(参考)農林水産省「おせち料理ってどんな料理?」, https://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_menu/oseti/01.html より筆者抜粋
なお、ここで参考にした農林水産省のおせち料理のページは子供向けに書かれていますのでおすすめです。
伝統的なおせちの重詰めのやり方
伝統的なおせちの重詰め本来の決まりごと
○なぜ重箱に詰めるの?
めでたさや幸せが積み重なるように!との願いが込められています。
○重箱の段数は?
正式には五段重ね。
最近では三段重ねも多い。
いずれも奇数重ね。
上から、一の重、二の重、三の重、与の重、五の重(空)
○それぞれの重に何を詰めるの?
・五段重ねの場合
一の重:祝い肴
(関東:黒豆・数の子・ごまめ、関西:黒豆またはごまめ・数の子・たたきごぼうなど)
二の重:口取り・酢の物
(紅白かまぼこ・きんとん・だて巻きや錦卵・紅白なます・酢ばすなど)
三の重:海の幸の焼き物
(えび・鯛・ぶり・いかなど)
与の重:山の幸の煮物
(煮しめ・筑前煮・八つがしらやくわいなど)
五の重:控えの重
年神さまからの福を詰め、さらに幸せが入るようにと“空”にしておきます。
・三段重ねの場合
一の重:祝い肴・口取り
二の重:焼き物・酢の物
三の重:煮物
○重詰めの方法は?
重を十字に仕切る、対角線に仕切る、横に3段に仕切る、真ん中に小鉢などを入れて
周りを放射状に仕切るなどです。詰める料理は5・7・9種類の奇数にします。
○詰める時のコツは?
・冷ましてから詰める。
・崩れにくいものから詰める。
・高さを揃えるように、立てたり重ねたりして詰める。
・汁の出るもの、味やにおいの移りやすい料理は、小鉢やゆず釜などに入れて、
また葉蘭などで仕切って詰める。(お弁当箱に詰める用のカップなどでもOKです。)
今年の暮れには、ぜひお子さんと一緒に豆知識をお話ししながら、
重詰めしてみてはいかがでしょうか
おせち料理は英語で?
おせち料理(Osechiryōri)
英語では Japanese New Year’s Dish
Japanese traditional New Year’s dish
など
以下、各時代ごとにおせち料理の歴史を略年表のように古い順から年代をおってまとめています。
おせち料理の歴史・略年表(1)起源
おせち料理の起源は諸説ありますが、もっとも有力なのは奈良時代から平安時代にかけてといわれています。
おせちの起源弥生時代説?(おせちの起源は弥生時代という説もあるようですがその説は農耕や稲作への転換を指すというものでした。個人的には考古学や人類学的な部分ではロマンは感じるのですが。あくまで現在の一般的な説では7世紀から8世紀頃の中国の唐の時代・日本史の奈良時代が定説とされています。)
ウィキペディアなどによれば、
・「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」や「節会(せちえ)」の略
・中国(唐朝)から伝わった五節供(ごせっく、五節句とも)の行事に由来
・奈良時代には朝廷内の節会(せちえ)で供される供御を節供(せちく)
・現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる
とのこと。
由来
ウィキペディア、御節料理
「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」や「節会(せちえ)」の略であり[1][4][5]、中国から伝わった五節供の行事に由来する[6]。奈良時代には朝廷内で節会(せちえ)として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言った。現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる[7]。
奈良時代 唐から五節供が伝来
710年-794年 8世紀 奈良時代 唐朝から五節供(ごせっく)が伝来
一般社団法人和食文化国民会議(略称:和食会議)が運営する「五節供に和食を」推進委員会によれば五節供の伝来は「奈良、平安の時代」とされ、江戸時代に全国で盛んになったといわれています。
奈良時代に中国から伝来しました
https://gosekku-washoku.jp/about/
そもそも古代中国では、月と日が奇数で重なる日を「厄日」と考えたため、その日に厄払いの行事をしました。それが奈良、平安の時代に日本に伝来し、日本古来の信仰と相まって宮中の儀礼に取り入れられ、貴族たちもそれを受け入れたため盛んになりました。
和食会議:和食文化を次世代へ継承するため、その価値を国民全体で共有する活動を展開している団体。
つまり、中国から「節」を季節の変わり目とする暦ももたらされ、節ごとに収穫を神様に感謝して、「節供」といわれるお供え物をする風習が生まれたのは、おおむね中国の唐朝の時代のどこかという見解が一般的のようです。
(参考)唐の時代や奈良時代っていつ頃?
唐(とう)の時代618年 – 907年)※出典ウィキペディア中国語版「唐朝」
奈良時代頃。奈良時代 710年 – 794年※出典ウィキペディア日本語版
(唐の時代区分も解釈にゆれがあり一説には11世紀頃までという記述もありますがここでは中国語版ウィキペディアの記述に準拠し907年までとしています。)
※マーカーは文中でおせちの由来に関連してふれた時代
(参考)日本史年表(時代区分)
旧石器時代 – 紀元前14000年頃
縄文時代 前14000年頃 – 前10世紀
弥生時代 前4世紀 – 後3世紀中頃
古墳時代 3世紀中頃 – 7世紀頃
飛鳥時代 592年 – 710年
奈良時代 710年 – 794年
平安時代 794年 – 1185年
王朝国家 10世紀初頭 – 12世紀後期
平氏政権 1167年 – 1185年
鎌倉時代 1185年 – 1333年
建武の新政 1333年 – 1336年
室町時代 1336年 – 1573年
南北朝時代 1336年 – 1392年
戦国時代 1467年(1493年)– 1590年
安土桃山時代 1573年 – 1603年
江戸時代 1603年 – 1868年
鎖国 1639年 – 1854年
幕末 1853年 – 1868年
明治時代 1868年 – 1912年
大正時代 1912年 – 1926年
昭和時代 1926年 – 1989年
GHQ占領下 1945年 – 1952年
平成時代 1989年 – 2019年
令和時代 2019年 –
おせち料理の歴史・略年表(2)季節
奈良から江戸時代 五節会から正月料理へ
710年から1868年※ 奈良から江戸時代 五節会から正月料理へ
※この期間は約1100年と長く、具体的にどの時期に移行したかは諸説あるようです。
五節供(ごせっく)とは
一年間の五つの節句。
人日(じんじつ)(=一月七日)
上巳(じょうし)(=三月三日)
端午(たんご)(=五月五日)
七夕(しちせき)(=七月七日)
重陽(ちょうよう)(=九月九日)。
五節会(ごせちえ)の儀式を一般庶民がならって御節供(おせっく)を行うようになったものと考えられている。
(例 端午の節供(たんごのせっく) 「五節供に和食を」推進委員会ページへ🔗)
元々は五節句の祝儀料理全てをいったが、のちに最も重要とされる「人日の節句(じんじつのせっく)」の正月料理を指すようになったとのこと。
また正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたといわれているそうです。
おせち料理の歴史・略年表(3)料理
ウィキペディアによる情報をまとめると、
・おせちはもともとお膳(ぜん)に盛られた料理のこと
・重箱は別の名前。
とのこと。
・もともとお膳の料理だった煮染め(煮しめ)などの料理がしだいに重箱に詰められるように。食積(くいつみ)などの重箱ともともとお膳の料理だった御節(おせち)が融合していったそうです。
江戸・明治・昭和(戦後)お膳から重詰めへ
重箱の別の名前は、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」など。
江戸時代、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」[10]と称し、歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振舞ったり、家族も食べたりした。
江戸時代 おせちはお膳が主流
・文化・文政年間(1804‐30)の料理茶屋における料理が正月料理の重詰めに影響しているという説もある。
・1853年の 『嗚呼傍廂』によれば膳に盛られた料理を「おせち」と呼んだ。
明治時代 お膳と重箱が混在
・1901年(明治34年)『東京風俗志』によるとお膳に供えた煮物を「御節(おせち)」、重詰めしたものを「食積(くいつみ)」と呼んだ。
なお、重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降ともいわれていますがウィキペディアで参照されている文献などにでは時期や呼びかたに差があることから明治の頃まではおせちの呼び名は混在していたようです。
昭和(戦後) 重箱が確立
・重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後
・デパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるという説も。
以降、現在では重箱に詰めた正月料理を御節(おせち)と呼ぶようになったのは皆さまご承知のとおりです。
平成から令和 おせちの進化
平成から令和 おせちの冷凍技術やネット通販などの流通など
2007年プロトン凍結機開発(株式会社菱豊フリーズシステムズ)
・NHKでプロトン凍結機でおせちを製造する沖縄のメーカーが紹介。
2019年12月14日(土) 午後8:15~午後8:45(30分)有吉のお金発見 突撃!カネオくん「令和最初のお正月直前!おせちのお金の秘密」
アンリッシュ食品工業
(参考記事)【連載】アジアに臨む・沖縄特区のモノづくり#02 アジアのセントラルキッチン製造業“不毛の地”のいま。独自の冷凍技術で食品を輸出2017年06月15日 ビジネス・経済
まとめ
以上、おせちについてまとめてみました。
おせち料理をネットで注文することも一般的になってきたようです。
忙しい現代でも日本人がおせちを大切にしていることには変わりませんよね。
(日本のおせち料理には伝統や歴史の重みとたゆまぬ科学技術の進歩などが深くかかわっているともいえるでしょうか。プロトン凍結機以外にも、魚介類のコールドチェーンや農産物の様々な栽培技術など多くの生産者の方々のご苦労のおかげというのは昔も今も変わりませんね。筆者も一昨年は親の介護事情などでおせち料理を自作してみたのですがえらく大変でした(;^_^A。)
末筆ながら、ぜひお正月は日本のみなさまがおせちを味わう機会がありますよう陰ながらお祈り申し上げます。